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2017Badwater135 振り返り

ゴールから1週間も経っちゃいました。

もはや、今更感いっぱいですよね(笑)?

優勝した飯野くんも、さっさと職務に戻ってるし、チームメイトで一緒に参戦した西くんもてっちゃんも、もちろん僕もすでに切り替えて気持ちは次に向かっているのだけど、一応、記録に残しておこうと思います。

 

2回に分けて書きますが、1回目のこの記事は自分なりの超ウルトラ観や、超ウルトラとの付き合い方なんかも途中に注入していますので脱線バラバラな内容になるはずです。

2回目の次の記事でレース前後を含めた行程をトレースしてみますね。

どちらにしても、きっと絶対に長いです(笑)。

なのでお時間のあるときにどうぞ、って感じです。

 

 

結果はご存知の通り27位、36時間00分59秒。

30時間切りが目標だったので、う〜ん・・・難しいですね、長いレースって。

 

 

今回2017年大会は2010年から挑戦し続けて8年目、おととし一回欠場があったので出走は7回目です。

の前に、このBadwater135、日本人では遡ること20世紀時代に櫻井要さんという偉大なアスリートが一度走り、27時間台で3位という素晴らしい結果を残しています。

しばらく後の2010年に岩本は日本人として10年以上振りに参戦しました。

(経緯については青い本参照)

 

岩本の超ウルトラ歴は2000年からで今年は18年目。

よく、超ウルトラを本気でリザルトを狙う取り組み方をすると早くて5年、平均7年、どんなに長くても10年が耐用年数と言われています。

中には岩本と同学年ランナーの関家くんや稲垣さんのように10年以上に渡り、世界のトップに君臨したオバケ(←敬意を込めて)や、ひとつ年上の竹田さんのように今でも10年以上に渡り国内トップレベルを保っているランナーはいますが、この方たちは世界的に見ても極めて異例で、普通は数年で潔く(または無残にも)消えていくのが普通です。

繰り返しますが、超ウルトラ(オーバーナイトレース)をレベルどうあれ「本気でリザルトを狙って取り組み続けた」場合ですから、長くいつまでも超ウルトラを楽しんでいきたい、という人は、やり方次第で何十年でも続けていけますからご安心くださいね。

 

少しそれますが、ハイレベルで太く短くがいいのか、ゆったり楽しく末長くがいいのかもその人次第。

取り組み方は自由が一番。

この時代、RUN以外にも仕事、子育て、親御さんのお世話、お財布事情、健康問題、その他不確定要素が多々絡み合っているわけで、そう考えると超ウルトラに取り組めること自体が奇跡とまでは言いませんが非常にシアワセなことだと思うのです。

きょうまで自己ベストを目指して走っていても明日から突然RUNシューズに足を入れることさえままならない現実が訪れるのが、むしろ普通なのが、おめでたく脳天気なこの遊び場なのかもしれません。

それが証拠に日本には1億人以上のも人が暮らしているのに、最大の東京マラソンでさえ30万人しか「走ろう!」とクリックしていないのです。

だからこそ、好きに取り組むのが一番。

取り組み方は百人百色。

 

で、僕の場合はというといつ走ることがままならない状況になっても後悔しないように

「やれる時にやれるコトをやれるだけやる」

ことにしています。

だから明日、RUNシューズを取り上げられても、不慮の事故で再起不能になっても(寂しいけど)多分大丈夫。

 

けっこうそれましたね。戻りましょう。

 

上にも書いたように僕の耐用年数はすでに過ぎているのかもしれません。

2000年に超ウルトラ(スパルタスロン→リタイア)。

2002年にスパルタスロン初完走。

2003年はスパルタスロンで自己最高位。

この時は「よし!ここからバラ色リザルト街道まっしぐら!」とかおめでたく考えていたものの、結果このタイムと順位がスパルタスロンのベストリザルト。

2004年は24時間走でアジア選個人2位、団体1位。

この時も「来月また24時間走を走れば250突破」とか、安易に思ってました。

結果この時の247kがいまでも自己ベストのまま。

 

この2004年までが超ウルトラ本気戦線の5年目。

5年ですから案の定、あとはゆるゆると下降開始…?。

かろうじて7年目にあたる2年後の2006年神宮外苑24時間走で勝った後はもう……↘。

 

そんな時に出会ったのがBadwater135でした。

ただ、その頃は耐用年数説5年とか7年とかいう説をなめてるわけですよ。

自分的にも「全然イケる」そう信じていました。

 

Badwater135……

距離217km

気温50℃超

20km以上続く上り坂が3ヶ所。

 

「いいね!チャレンジング🎶」

勝ったら世の中驚くだろうなぁ、なんて思ってのお気楽な挑戦でした。

根底には、これは多くの初参戦者が抱いている気持ちだと思うのですが、

「所詮、人間がやるものでしょ?このレースでヒト死んでないでよね?世界一過酷?大袈裟だよ。チョロいチョロい楽勝」

というやつ。

 

それが証拠に豪語↓しましたから。

「25時間で優勝して帰りはベガスで豪遊」って(笑)。

 

甘い甘い。

217kmのうち、走れたのは最初の数km。

42時間かかってボロボロの惨敗でした。

 

とんでもないレースがあるものだ、と思ったものです。

今ならその規格外っぷりがわかります。

過去の参戦者を見ても、

2015年までレコードホルダーだった元100km世界記録保持者であり、スパルタスロンのチャンプ、24時間走元世界一のバルミールヌネスや、皆さんもご存知のスコットジュレック、ウルトラマラソンマンのDEANさんなどの名前がリザルトにありますし。

 

ちょ……、長いすよね?この記事(笑)。

あと10行ほどで今回の振り返りに入りますから急ぐ方はココから10行先までスキップしてください。

 

翌2011年は前年のなめまくり気分で組んだクルー2人体制を改め、大幅にクルー増強。

この頃は午前10時スタートで13時には122℉まで気温が上昇しましたが27時間30分で5位のゴールとなりました。

超ウルトラ12年目です。

これで耐用年数説を覆した?とかおめでたく思ったものです(笑)。

ただ、この年は日本から奇しくも同学年の4人が参戦。

2位に関家くん、僕の2個後ろに稲垣さん(女子優勝)がゴールするなど自分のタイムや順位を深く考えることはありませんでした。

まぁ結果これが超ウルトラ人生のピークだった感じですね。

 

その後、翌年からはMY☆STARチームメイトの後輩、西くんが毎年参戦するようになり、クルーのノウハウや経験値も積み上げられ、今年のBadwater135を迎えたのでした。

 

ふぅ。長かった(笑)。

今年は久々に日本から4人が参戦。

毎度お馴染みの岩本、西くんのほか、チームから待望の参戦者、木曽鉄男くん(以下てっちゃん)がついに初参戦!

さらにNHKのグレートレースでも有名な若手超有望株の実力者、飯野航くん。

 

↓右から西くん、岩本、てっちゃん

 

これで今年のBadwater135なおもしろくなった!

楽しみだ!

 

と思ったと思いますか(笑)?

申し訳ないですがそんなに自分、いいヒトじゃないっすからね。

 

てっちゃんに対しては、きっとあっさり僕の記録とタイムを破ってゴールして、

挙句に「思ったよりキツくないですね。言われているほど暑くもないし、距離も短いし。けっこう楽勝でした」

とか言われたらタマンネェなこりゃ、とか思うわけですよ。

こっちは長い間ヒィヒィ言いながら闘ってきてノウハウ蓄積して、惜しげもなくそれを提供して、それで世間や読者さんが「あ、岩本さんの出てるあのレース、本人が大騒ぎしてるだけで、まぁあんなもんなんだね。所詮人間がやるものだし、このレースで死んだヒトいないし」とか、自分イヤなヤツだからやっぱりそういう状況は避けたいんですよね(笑)。

もちろんチームメイトだし、何より仲間だから善戦を願う気持ちはあるにはあるけれど……。

 

でもてっちゃんの取り組みはやっぱりすごかった。

ここでは省くけれど、準備期間の練習やステップレースの走り、不慮の遠回り2回などなど、このレースに対する真摯な姿勢はハンパなかったし、そもそもそれらを自分と比べた時点で全然負けているわけですよ。

そんなてっちゃんをずっと見てきたからやっぱり彼らしいレースで強い時の彼の強いレースをやってのけてほしい、と春頃には思わずにはいられませんでした。

 

そして飯野くん。

直接の面識はなくて、Badwater関連の情報に関して何回かメッセージのやり取りはしていたけど、極めて謙虚。

若い頃の自分に見習わせたい(笑)。

里奈はHONG KONG100で面識があったらしく、大絶賛のワカモノ。

「きっと飯野くんは勝っちゃうんだろうな」とイヤな岩本が顔を出すのだけど、人格ってトクですよね(笑)。

「飯野くんなら勝っても許す!」(←何様だよ自分?ゴメンなさい。本心でしたから)

って感じでした。

 

西くんについてはもう俺たち付き合いはSMAPより長いからね(笑)。

レース中のお互いの存在は間違いなくお互いに好影響をもたらすことは確信できていたので(もちろん前向きなレースを続けていれば、だけど)、まぁ「がんばろ〜ぜ」程度という感じ。

 

レース前後やレースについては次の記事で書くのですっ飛ばして。。。

 

結果、4人ともゴール。

ホントよかった。

飯野くん日本人初優勝!

悔しくないのか?って?

ないです全然。

なんかね、こういう選手の快挙に嫉妬や羨望の感情を抱くには岩本、歳を取りすぎたのかもしれません。

「それって競技者としてどうなの?」とか言わないでね。

本心だから。

 

いいものですよ。

自分が登って跳ね返され、登っては跳ね返され、また登っている自分のその横を自分がつけた(かもしれない)わだちをたどって登ってきたワカモノが爽やかに口笛吹きながらスキップで走り去る。

もう踏み台だろうとなんだろうとかまわない(笑)。

 

飯野くんの快挙を前に、思ったもん。もう誰に忘れ去られてもよし。

自分の中に「やれるだけやった」と思える事実があって、クルーが見てくれていて、里奈が憶えていてくれればそれでよし。

 

さて、てっちゃん。

半分位までは意外にも僕や西くんの近くを走っていた様子。

今の時代、GPSのトラッキングサイトで本人たち以上に選手がどんなペースでどの辺りを走っているかが、それも海の向こうでリアルタイムに観察できる時代。

「日本にいるチームのみんな、楽しんで見てるだろうなぁ。この3人のレース展開」

なんて思いなが走ってました。

おっと、てっちゃんた。

色々あったそうだけど30時間を切って7位でゴール。

どんな気分だったかって?

てっちゃんのチカラだったらもっと上にいけたはず、とは思うけど同じレースを近くで闘ってるだけにそれ以上のリザルトを求めるなんてとてもできないわけで、もうココロから「おめでとう」という感じ。

てっちゃんがゴールしたあと、サポートカーで下山してきて、これから山にアタックする僕にてっちゃんカーのみんなが本気で応援してくれて、もうそれだけでホントに嬉しかったことが印象的。

ガラにもなく仲間っていいよな、って思ったりしちゃうんです。

世界で90人だけが、というかそのうちのファイナルウェーブの30人だけがやってきた同じモノを共有できているから。

 

西くんがゴールしてサポートカーで下ってきたのは僕がゴールまであと4kmくらいの所かな?

何人かがクルマから降りてきてくれてグシャグシャに応援してくれるわけですよ。

これから行く人間に対してすでに行ってきた人からの応援ほど大きなものはないですよね。

普段は鼻でせせら笑う「応援のチカラ」ってやつ?

そんなもの幻想だよあはは、な僕にさえもの凄く大きなパワーになりました。

 

苦しみ抜いた217km。

去年が37時間半、今年が36時間ちょうど。

短縮は90分だけ。

文字にしたらホントただそれだけ。

進歩ないなぁ。

と思われちゃうね。

でも、それでも結構。

どんな闘かいだったのかは自分自身と、一緒に闘って僕を217kmも運んでくれた僕のクルーたちが全部全部何もかも知っているから。

それにこのタイムと順位はクルーたちのものでもあるわけだし。胸張りますよ(あと数日はねw)。

 

あ〜長かった(笑)。

詳細は次の記事なのにこれじゃ次が思いやられるね。

 

同じ線の上を同じ所に向かって進んだてっちゃんとてっちゃんクルーのみんな、西くんと西くんクルーのみんな、楽しかったね!ありがとう。

応援してくださった全ての皆さん、ありがとうございました。

 

リタイアを願っていたあなたとあなたとあなた達、

負けるかバ〜カ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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