MY STAR 仮店舗はこちら

実はすごいんです。

オリンピックの陸上競技、テレビで観ているとあまり実感が湧きませんが、彼らはあの場で実はものすごいコトをしているんです。


【男子4×100mリレー】
ボルトを擁するジャマイカの優勝タイム36’84”は時速39.1km。
これは山手線1周の平均速度より4.6km速く、今回の五輪自転車ロードレース優勝者の平均速度より4.4km遅いだけ、というスピード。


【女子20km競歩】
優勝タイム1h25'02"は・・・、
1km➡4’15”  皇居1周➡21’15”  ハーフマラソン➡1h29'40"  フルマラソン➡2h59'20"にそれぞれ相当。
因みに男子優勝タイムは皇居1周を19'41"ペース。

注)競歩なのに大阪国際女子マラソンに出られるタイムです(大阪のハーフによる参加資格は1h30')


【男子砲丸投げ】
砲丸の重さは7.26kg。
これはビール350cc缶21本分。ボウリングの16ポンドのボールと同じ重さ。
優勝記録の21m89はボウリングのレーン(第一ピンまで)の距離より3.6mも遠くに飛んだ計算。

注)同じ重さの鉄球にワイヤーを付けると・・・、それがハンマー投げのハンマー。


【男子走り高跳び】
優勝記録は2m38。
これは女子バレーのネットの高さより14cm高く、日本のマンションの平均的な天井の高さと同じ。
因みに電話ボックスはこの記録より12cmも低い2m26。

注)さぁ!頭上の天井を見てみて。その高さを全身が超えていくのです。


【ボルトの歩幅】
1歩平均2m44cm。100mを41歩でゴール。
これは東京メトロなどの電車1両を8歩で移動。あなたの足下にある正方形のオフィスカーペット5枚分、畳(楯置き)約1.4枚分。池袋〜新宿間を1721歩。

注)数秒前にあなたが見上げたその天井の高さより7cm上から床までの距離が彼の一歩ね。


【女子マラソン】
日本勢は実は大健闘。
寝た子(アフリカ勢)が起きただけ。
引き合いに出されるバルセロナ五輪銀メダルの有森氏の2h32'はロンドンだと45位、同じく4位だった山下氏の2h36'は62位に相当。あの頃とはもはや別の種目。

注)今回16、19、79位だった日本の木崎、尾崎、重友のタイムを逆にバルセロナ五輪に当てはめると金、銀、6位。
時代が違うんだけどね。

 
皆さんよい週末を♪


エントリー完了

毎年この時期に巷で話題の東京マラソンのことではないです。

Brazil 217 ultramaratona

というレース。
ウルトラマラトーナ・・・、ポルトガル語ですかね。

ブラジルで217km走ろうぜベイベー!ってことです。
217kmってゆーとBadwaterと同じ距離。
偶然ではなく、合わせているようです。

まだエントリーが完了しただけで選考はこれから。。。

開催は来年1月の半ば。
お〜っ!今度は真冬で寒いのね?
違うんです。
南半球の1月だからちゃんと充分真夏です。
そうなると、ひと足お先に真夏のリオね。

選考突破したらお知らせしますが、漏れたら何事もなかったように黙ってます。。。(笑)。




タチヨミ ノ ススメ

フルマラソンのための著書はすでに4冊あるのですが、岩本の走りはフルマラソンではまったく勝負になりません。

だからというワケではないのですが、専門はウルトラマラソンです。

ではウルトラなら連戦連勝かと言えば・・・、
もうまったくそんなことはなく、忘れた頃、そう!うるう年の2月29日のように4年に一度くらい、地味〜なリザルトがポロっとあがる程度。

だから経験だけは長いのだけど、失敗や惨敗も数知れず。。。
その度に、立ち止まり、考え、試行錯誤なウルトラ人生。

で、膨大な失敗から生まれた「これなら皆さんにも活かせるかも」というものをまとめました。


本日からコチラで先行予約開始です。
タイトル、長くてまだ覚えられません。
というより、岩本ってコーチなんですねぇ(笑)。

立ち読みをおススメしたいところですが、書店には並ばないので⬆でご購入の上、ご自宅で立ってお読みいただければ幸いです。




 石

石・・・、漢字で書くとstone

さかのぼることずーっと昔、西暦2000年。

2000年を迎える冬、世はミレニアム〜♪なんて浮かれ、コンピュータが大誤作動を起こす(かもしれない)2000年問題が大きな話題となった。

開けて2000年、特に何も起こらず・・・、というか全く普通のいつもの年明け。
ちょっと肩すかし。

おっとそれた。
石の話だった。

で、この2000年、
プレステ2が発売され、グリコ森永事件が時効を迎え、大江戸線が全線開通した。
元上司がグリ森事件の『キツネ目の男』に酷似していて周囲の通報でお巡りさんが会社にやって来た以外、すべて岩本とはまったく関係なかった。

このころ岩本は毎年12月、「自身の限界への挑戦」という名のおちゃらけリゾート旅行を続けていた。
ときはランニングブームより遥か前、ホノルルマラソンと言えば、
「おっ!がんばれよ」
と上司は餞別をくれ、完走して帰国すると職場ではちょっとしたお疲れさま会的なことが催されるような時代だった。

おっとそれた。
石だったっけ。

ミレニアムを迎える3週間前の1999年ホノルルマラソンは4時間09分。
例年通り、練習期間は1か月、走行距離は70km。ラスト4kmは歩き倒し。
という『自身の限界への挑戦』はこの年も非常にテキトーになあなあのうちに終了。
マラソンのついでに観光をする、のではなく、観光旅行にマラソンを入れることで正当に休みを取るという『自身の限界への挑戦』。

そうそう、石。。。

2000年初頭、年イチおちゃらけリゾートランナーの岩本が、あろうことがスパルタスロン挑戦を決意する。
(詳細は次の次のウルトラ本に、かなぁ)

調べたら246kmという距離、30%台という完走率、おまけに参加資格まである。

人生最初で最後の本当の『自身の限界への挑戦』が始まった。


4月に参加資格をゲット。
7月には人生初の東海道夜間走を決行。

そうそうこの夜間走、土曜日遅くまで仕事して新宿から小田原行きの最終に飛び乗り、
小田原の雑居ビルの非常階段で着替え、荷物はコンビニから自宅に送り、とっくに日付が日曜に変わった頃スタートするというモノ。

当時、終焉を迎えつつあった昭和の遺物、暴走族が鉄パイプを振りかざして集団で走ってきては沿道の駐車場に身を隠したり、そもそも道だってわからないから気付いたら自動車専用道にまぎれ込んでしまったり、と当然東京までを完走することは出来ず・・・、な深夜のひとり練習。

現在ではこの時期は毎週末、チームのメンバー20〜30人で平和に楽しくやっているのだけど。
あ、今日も東京〜小田原87km夜間走の日だし。


で、2000年夏、それなりにしっかり準備をして9月29日のレースを迎えた。

実はその4日前、シドニーオリンピックでQちゃんがマラソンで金メダルを獲っていて、あ、じゃ俺も・・・、なんて何の繋がりも縁もゆかりもないQちゃんに勝手に仲間意識を持ってのスタートだった。


スパルタスロンにはサンガス山という難関があって、当時は両手も使わないと登れないような山越えで。
そのサンガスの頂上は159km地点。
246kmのコースのおよそ3分の2終わった辺りでランナーを待ち構えては体力を吸い尽くしてふるいにかけてくる。

これがサンガスか・・・、
もうたどり着くだけでカラダ的には終わっていて、奇跡的にサンガスの向こう側にも下りることが出来て、でももうまったく心身ともに終わっていて。。。

サンガスを超えると完走は見えてくる、とは戦前いろんなところで見聞きしていた。
そんなの岩本に限ってはまったくのウソ。
サンガスのガレ場こそがトドメだった。
やっと超えてもあとまだ80km以上・・・、
小田原〜東京の夜間走と同じような距離が残っているわけで。

明け方、172km地点まで着いて、残り70kmを11時間半で行けば、つまり歩いてでも完走は出来るのだけど、とてもムリ。

リタイアしてバスに乗る。
シューズ脱いだら爪が7枚、終わってた。

もう、後悔も何もナシ。
そもそもムリ。
172kmまでたどり着けただけでも奇跡。
よくやったよ、俺。
二度と出ない。
でもいい思い出にはなったかな、と。


石 ⬆ これ、サンガスの石。

レース翌日、ゴールのスパルタの町から選手村のあるアテネに戻る途中、バスに同乗していたスタッフが気を利かせてサンガスの麓で自由時間を作ってくれた。

ただの石ね。

もう二度と出ないし、246kmなんてフツー無理。
と思っていたから、思い出として持って帰って来ただけ。

結局2年後には完走することが出来て、その翌年は6位に入れて、って感じでこれまで7回ゴールした。
初完走のとき、もらうまでは完走メダルが欲しくて欲しくて仕方なくて、手に入れられたら一生の宝物になると思ったりして。

でも実際手にしたらそれはヒトに見せびらかすための道具でしかないような気がして。
以来、スパルタスロンにしてもBadwaterにしても24時間走にしても、完走メダルや優勝楯は誰かにあげたり、どっかいっちゃったり、と終わった瞬間どうでもいいものになっていて。

ま、欲しかったものはメダルでも楯でもなく、事実があればそれでいいから。

なのだけど、この石だけは捨てられないんだよね。
原点、って感じがして。

ヒトからしてみればただの石ころで、価値はまったくないし、
そもそも岩本にとってもただの石ころでしかないのだけど不思議ね。









りんごジェル その後

大詰めです。

かれこれ2年近く?かかりましたよね。

試行錯誤を繰り返し、試作品多数・・・。

どうせ作るならちゃんとしたモノをってことで。

Badwaterでも試しました。
が・・・、岩本の凡走では参考にならず、ですが西くんは内蔵が補給を拒絶するレース後半、全く問題なくガンガン摂取できたとのこと。
一般のランナーの皆さんのマラソン後半でも活用出来そうです。

で、先々週の奥武蔵ウルトラマラソン。

このレース、知る人ぞ知る、ひぇ〜!なレース。
30℃オーバーの炎天下をアップダウンを繰り返しながら78km走るというもので、今年で19回目。
全国各地から1500人弱が参加するというもの。

その奥武蔵には我がMY☆STARから70人弱のメンバーが出走。
エグいコンディションの中、彼らにも試してもらいました。

きっとこのデータでゴーサイン出るでしょう。
秋には無添加の天然りんごジェル、リリースっぽいです。

あ、作っているのは岩本ではなくちゃんとしたサプリ&食品メーカーです。
岩本は自分のレースにフル活用出来るモノに、という魂胆で単に好き勝手に口出しするだけ、というよくわからない(都合のいい)立ち位置で開発に携わっております。









SEA LEVEL


人々の向こうの崖。

その上の方をよーく見ると見つけることができる小さなサイン。

寄ってみると ⬇
『SEA LEVEL』
ひっそりと『海抜ゼロメートル』を意味するシルシ。
ということで崖の下にいる人々が立っている地点は海抜マイナス86m。

そして翌日(または翌々日)、今度はここ

あの山がゴール。
富士山より700mくらい高いらしい。
(フィニッシュラインは5合目辺り)

今年はあの山にたどり着けず。。。
でも、岩本にとってこのホイットニーにたどり着くより何倍も大変なのが来年7月、『SEA LEVEL』サインの86m下に立つこと。

それまでは文字通り水面下で地味な闘いの日々。。。








目撃 その1 

レース中、色んなもの見ました。
行く手に居座っていたのが高さ500メートルくらいの竜巻。
まぁ、カンザスとかで巨大な被害を出すアレとは規模が違うのだろうけど。

こんな➡感じ
すごいよ⬆これ。


レースの60km地点辺り。
10kmくらい前から見えるんですよ。

環境も気象も景色も非日常ゆえ、怖いとか全然思わない。
というより何が見えてももはや驚かない精神状態。

きっと同じ頃ここを通ったランナーもみんな同じだと思う。

これ ⬇ はサポートクルーが撮ったもの。




真ん中やや左に見える白いウェアは女子チャンプの稲垣さん。

そのずーっと先に竜巻に突撃して行くムシみたいなのが岩本ですね。


何が見えてももはや驚かない、というけど、
例えば流れ星が20秒くらいかけてゆっくり夜空を横切ったりする。
一瞬、うぉ〜っ!
とか思うけど、非日常がここの日常だよねってことで意外と冷静に見られる。

そうそう、星といえば、天の川は無数の星で雲のように煙ってしまっていて頭上をどーんと縦断してる。
あ、これだけの星があれば生物がいる星が地球ひとつだけってあり得ないな、と普通に思う。