石・・・、漢字で書くとstone
さかのぼることずーっと昔、西暦2000年。
2000年を迎える冬、世はミレニアム〜♪なんて浮かれ、コンピュータが大誤作動を起こす(かもしれない)2000年問題が大きな話題となった。
開けて2000年、特に何も起こらず・・・、というか全く普通のいつもの年明け。
ちょっと肩すかし。
おっとそれた。
石の話だった。
で、この2000年、
プレステ2が発売され、グリコ森永事件が時効を迎え、大江戸線が全線開通した。
元上司がグリ森事件の『キツネ目の男』に酷似していて周囲の通報でお巡りさんが会社にやって来た以外、すべて岩本とはまったく関係なかった。
このころ岩本は毎年12月、「自身の限界への挑戦」という名のおちゃらけリゾート旅行を続けていた。
ときはランニングブームより遥か前、ホノルルマラソンと言えば、
「おっ!がんばれよ」
と上司は餞別をくれ、完走して帰国すると職場ではちょっとしたお疲れさま会的なことが催されるような時代だった。
おっとそれた。
石だったっけ。
ミレニアムを迎える3週間前の1999年ホノルルマラソンは4時間09分。
例年通り、練習期間は1か月、走行距離は70km。ラスト4kmは歩き倒し。
という『自身の限界への挑戦』はこの年も非常にテキトーになあなあのうちに終了。
マラソンのついでに観光をする、のではなく、観光旅行にマラソンを入れることで正当に休みを取るという『自身の限界への挑戦』。
そうそう、石。。。
2000年初頭、年イチおちゃらけリゾートランナーの岩本が、あろうことがスパルタスロン挑戦を決意する。
(詳細は次の次のウルトラ本に、かなぁ)
調べたら246kmという距離、30%台という完走率、おまけに参加資格まである。
人生最初で最後の本当の『自身の限界への挑戦』が始まった。
4月に参加資格をゲット。
7月には人生初の東海道夜間走を決行。
そうそうこの夜間走、土曜日遅くまで仕事して新宿から小田原行きの最終に飛び乗り、
小田原の雑居ビルの非常階段で着替え、荷物はコンビニから自宅に送り、とっくに日付が日曜に変わった頃スタートするというモノ。
当時、終焉を迎えつつあった昭和の遺物、暴走族が鉄パイプを振りかざして集団で走ってきては沿道の駐車場に身を隠したり、そもそも道だってわからないから気付いたら自動車専用道にまぎれ込んでしまったり、と当然東京までを完走することは出来ず・・・、な深夜のひとり練習。
現在ではこの時期は毎週末、チームのメンバー20〜30人で平和に楽しくやっているのだけど。
あ、今日も東京〜小田原87km夜間走の日だし。
で、2000年夏、それなりにしっかり準備をして9月29日のレースを迎えた。
実はその4日前、シドニーオリンピックでQちゃんがマラソンで金メダルを獲っていて、あ、じゃ俺も・・・、なんて何の繋がりも縁もゆかりもないQちゃんに勝手に仲間意識を持ってのスタートだった。
スパルタスロンにはサンガス山という難関があって、当時は両手も使わないと登れないような山越えで。
そのサンガスの頂上は159km地点。
246kmのコースのおよそ3分の2終わった辺りでランナーを待ち構えては体力を吸い尽くしてふるいにかけてくる。
これがサンガスか・・・、
もうたどり着くだけでカラダ的には終わっていて、奇跡的にサンガスの向こう側にも下りることが出来て、でももうまったく心身ともに終わっていて。。。
サンガスを超えると完走は見えてくる、とは戦前いろんなところで見聞きしていた。
そんなの岩本に限ってはまったくのウソ。
サンガスのガレ場こそがトドメだった。
やっと超えてもあとまだ80km以上・・・、
小田原〜東京の夜間走と同じような距離が残っているわけで。
明け方、172km地点まで着いて、残り70kmを11時間半で行けば、つまり歩いてでも完走は出来るのだけど、とてもムリ。
リタイアしてバスに乗る。
シューズ脱いだら爪が7枚、終わってた。
もう、後悔も何もナシ。
そもそもムリ。
172kmまでたどり着けただけでも奇跡。
よくやったよ、俺。
二度と出ない。
でもいい思い出にはなったかな、と。
石 ⬆ これ、サンガスの石。
レース翌日、ゴールのスパルタの町から選手村のあるアテネに戻る途中、バスに同乗していたスタッフが気を利かせてサンガスの麓で自由時間を作ってくれた。
ただの石ね。
もう二度と出ないし、246kmなんてフツー無理。
と思っていたから、思い出として持って帰って来ただけ。
結局2年後には完走することが出来て、その翌年は6位に入れて、って感じでこれまで7回ゴールした。
初完走のとき、もらうまでは完走メダルが欲しくて欲しくて仕方なくて、手に入れられたら一生の宝物になると思ったりして。
でも実際手にしたらそれはヒトに見せびらかすための道具でしかないような気がして。
以来、スパルタスロンにしてもBadwaterにしても24時間走にしても、完走メダルや優勝楯は誰かにあげたり、どっかいっちゃったり、と終わった瞬間どうでもいいものになっていて。
ま、欲しかったものはメダルでも楯でもなく、事実があればそれでいいから。
なのだけど、この石だけは捨てられないんだよね。
原点、って感じがして。
ヒトからしてみればただの石ころで、価値はまったくないし、
そもそも岩本にとってもただの石ころでしかないのだけど不思議ね。