昨日の記事でコースのことなどを書いたのですが、ちょうどUltra Racing Networkさんによる
「Badwater135とは・・・」的なダイジェスト動画がアップされました。
文字でつらつら記すよりも、この動画観た方がはるかに解りやすいのでアップしておきます。
コチラ←です。
これ↑観ると、
「え?この体型でこのレース走るの?」って感じのランナーがいたりしますよね。
それ、昨日も書いた通り何か特別なメッセージがあったり、また社会的な何か大きな貢献をした人や、何十年も続くこのレースに何らかの大きな関わりを持っている人たちです。
参加者は100人(今年は3人欠けて97人)と少ないのですが、同時にヨーイドン!してしまうとはじめの数マイルはランナーとサポートカーが入り乱れて大変な混乱をきたすため、ウェイブスタートが採用されています。
例年3ウェイブに分かれてのスタートで、
20時00分、21時30分、23時00分にほぼ均等に割り振られますが、23時00分スタートのファイナルウェイブこそがいわゆる「ホンモノ」が登場するウェイブで毎年トップ10に入るランナーはほぼ例外なくファイナルウェイブスタートです。
今回、岩本と西くんは21時30分のセカンドウェイブスタートでした。
(いつかまたファイナルに返り咲きたいな、と密かに思っておりますが)
あと、↑を観ると多くのランナーが二人で並んで走っていますよね。
なんでみんな誰かと二人で走ってるの?と不思議ですよね。
実は二人のうちのひとりはランナーではなくサポートクルーがペーサーとして走っているのです。
レースでは便宜上、ペーサーと呼んでいますが、実際はランナーよりも前に出ることは禁止されていてペースを作る役割ではありません。
サポートカーがいない場面で後ろからシャワークーリングしてくれたり、ドリンクを持ってくれたり、また夜中に眠い時の話し相手(?)としてランナーとコース上を進んだりします。
第二チェックポイントの70km地点以降、ペーサーと一緒に走ることが可能です。
さて、ここからは岩本の話になります。
Badwater135に出るようになったのは2010年。
それから毎年エントリーするようになりました。
最初の2010年は「そうは言っても人間がやることでしょ?」的に完全になめていて、25時間で優勝かな、なんて豪語していました。
実際はコースのほとんどを歩いて42時間かかりました。
ちょうどその頃、毎年参加していたスパルタスロン(ギリシャ246km)に満たされない空洞を感じるようになっていました。
制限時間36時間のスパルタスロンも32〜3時間かければ(キツいし苦しいけれど)ほぼ危なげなくゴールできるようになり、いつの間にか自分にとって「挑戦」ではく「完走回数」を重ねるためのレースになっていました。
(あ……、そういう取り組み方はもちろん大いにアリだと思ってます)
あらたな刺激に飢えていた頃、たまたま合宿で訪れた先で流れていたESPN(アメリカのスポーツチャンネル)で放送されていたのがこのBadwater135でした。
「あっ!これだ」とそのときがレースとの出会いでした。
2度目の参加の2011年には5位でゴールできたのですが、その後はきっと皆さんもよくご存知かと思うので省略(笑)。
イベントやセミナーでも参加者からの質問に、
「岩本さんの全盛期は月間何キロ走ってましたか?」
というようなものが混ざり始め、「え?俺ってもう終了してるわけ?」と周囲に知らせていただく始末で、実際レースもそれそのまんま、でした。
おととしリタイア、去年はエントリーはしたもののスタートラインにさえ立てず、日本で戦況を見ていました。
そのとき日本で立てた目標が「まずはそこに立つこと」でした。
今年1月の選考も無事に通り、クルーも決まり・・・、
そこからですよね紆余曲折。。。
身近な人は見ていただろうし、話せば長いので省略。
それでも「けっこう頑張りました」ということで以上。。。
このレース、制限時間は48時間あります。
だから完走だけならそれほど厳しいものではありません。
ただ、行く以上「レース」をしたかった。
だから(申し訳ないっす。こんな展開と結果だったけど)自分なりに勝負するつもりで臨みました。
2年以上、戦うことに飢えていましたから。
もちろん観る側の皆さんからも安全運転の完走狙いな走りを期待していないことは充分解ってるし。
と、そんな気持ちを携えて現地に発ちました。
(つづく)
ここは102km地点から見た105km辺りで起こっていた砂嵐。
中に入ると楽しいですよ(笑)。
赤い矢印が144km地点。